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海外旅行の参考サイト LovelyPlanet

旅の写真集  スリランカ民主社会主義共和国HEADLINE

スリランカ観光の旅行記を兼ねた写真集です。

《コロンボ・フォート駅に停まるヌワラ・エリヤ行き列車》

毎度のことですが、海外旅行の際には最初にできるだけ遠くを訪れ、帰国のために戻ってくる都市(今回でいえばColombo)の観光は最後に回そうということで、到着の翌朝の列車で早速中央部の高原地帯に向かうことにしました。
《コロンボ近郊の沿線の様子》

コロンボからこの日の目的地ヌワラ・エリヤ(Nuwara Eliya)までは約6時間の旅ですが、コロンボ駅を出発した列車は間もなく緑豊かな森林地帯に入ります。この辺りはまだ複線区間ですので、空いている車線は列車が来ない間は歩行者通路として多くの人に有効利用されています。
《車窓からの風景 ①》

コロンボは海岸沿いの町で、一方、ヌワラ・エリヤは標高1,800m以上あるので、列車は徐々に高度を上げて行きます。ヌワラ・エリヤを中心とする高原地帯は非常に有名なお茶(セイロン・ティー)の産地であるため、この辺りから既に沿線には大規模な茶畑が広がっています。
《車窓からの風景 ②》

途中駅での列車交換の際には、駅で働く弁当売りや、対向車線の電車の営業マンから物品購入の勧誘を受けます。弁当やお茶は良く売れているようですが、どういうきっかけがあったにせよ、この場所で船の模型を売ろうというのは素人の私から見るとあまり優れた戦略とは思えません。それでもこの男性以外にも様々な模型を手にした売り子がいましたので、箱根の寄木細工のようなこの土地ならではの伝統工芸品なのかもしれません。
《車窓からの風景 ③》

勾配が増々急になってきました。未舗装の沿道には乗合タクシーが息も絶え絶えに坂道を登る姿が微笑ましかったです。
《車窓からの風景 ④》

そうこうしているうちに列車は停まってしまいました。やはり勾配がきつすぎたのかと思って心配しましたが、周りの人に聞くと、誰かが先頭の機関車に飛び込んでしまったようです。そういうのは主に日本で起こりがちなことかと思っていましたが、この辺りでもたまにそう人がいるそうです。どちらにしろ皆さん興味津々のようです。
《車窓からの風景 ⑤》

それでも30分ほどの停車で列車は運行を再開しました。
《車窓からの風景 ⑥》

遅れを挽回すべく、左に右に茶畑を縫って心地よいスピードで走り抜けます。乗客も、停車中でもないのにドアを全開にして半身を乗り出し、遊園地気分のようです。
《沿線の茶畑》

茶畑も本格的になってきました。
《ヌワラ・エリヤ駅》

途中のアクシデントもありましたが、それでも1時間ほどの遅れで目的地ヌワラ・エリヤのナーヌ・オヤ(Nanu Oya)駅に到着しました。インドや南アジアの列車は運行時間が滅茶苦茶だと言われることも多いですが、実際利用してみるとそれほどでもありません。ただ、遅れる時には尋常じゃない遅れ方をする時もあるので、それが強調されているのだと思います。
《魚屋》

ヌワラ・エリヤは、コロンボを始めとする海岸沿いの町からはバスで6時間はかかる島のほぼ中心に位置しますが、ご覧のように十分新鮮に見える魚が店頭に沢山並んでいます。川魚もいるようですが、殆どは海の魚です。スリランカは島国だけあって、人々は魚が大好きです。特筆すべきことに、スリランカカレーの中にはカツオ節で出汁を取ったカレーが多く、これがまたとても日本人の口に合うのです。
《ヌワラ・エリヤの郵便局》

西洋風の佇まいにインド文化圏的な色合いが融合したこの郵便局は、イギリス植民地時代の1828年に建てられた、町で一番古い建物だそうです。
《ヌワラ・エリヤのティー・ガーデン ①》

ヌワラ・エリヤ周辺には丘陵地帯が広がっていて、先述のとおり、この辺りはセイロン・ティーの本場だけあって多くのプランテーションがあり、斜面には隙間がないほどの茶畑で覆われています。
《ヌワラ・エリヤのティー・ガーデン ②》

1,800mという標高と、朝晩と日中の気温差が大きいという紅茶の栽培に適した環境から、刺激的な渋みを含む良質な茶葉が生産され、ヌワラ・エリヤの紅茶は「セイロンティーのシャンパン」とも呼ばれているそうです。
《ヌワラ・エリヤのティー・ガーデン ③》

品質もさることながら、一面に広がる茶畑自体とても美しく、散策するだけでも、絵葉書のような景色を十分楽しむことができます。
《茶摘み》

一部の茶畑では、大人数での収穫作業が行われていました。丁寧に手摘みされた茶葉は近くの製茶工場で加工(乾燥→発酵→乾燥→選別)され、イギリス、中東など世界各国に輸出されていきます。
《ティー・ガーデンの青果店》

茶摘みのあばさんの帰宅時を狙っているのか、ティー・ガーデンの通路の途中では、幼い女の子が店番をする八百屋さんが小さいながらもお洒落な店を構えていました。
《ある日の昼食》

スリランカの食事は、各種スパイスを使って、野菜、魚、肉などを調理したもの数品をバランスよくおかずにしながら、大量の米を食べるというスタイルです。基本的にどれもカレー風味ですが、インドなどと比べてもスープ状のものは比較的少ないようです。
《レイク・ビューポイントから見たキャンディ市街》【世界遺産】

ヌワラ・エリヤの約80km北に位置し、人口約12万人を抱える Kandy はスリランカ中部の中心的な都市で、1988年に街全体が「聖地キャンディ」(Sacred City of Kandy)として世界遺産に登録されています。写真は、市街地の南の高台にある Lake View Point から見た中心部で、手前に見えるのは人造のキャンディ湖(Kandy Lake)です。
《レイク・ビューポイントから見た仏歯寺》【世界遺産】

キャンディ湖の北岸に位置し、仏陀の犬歯を安置する仏歯寺ダラダー・マーリガーワ寺院(Delada Maligawa)は、キャンディはもちろん、スリランカの象徴とさえ言える、国民にとって最も神聖な場所です。
《ホワイト・ブッダ》

湖の北西の丘の上に建つ高さ13mの仏像 Bahirawakanda Buddha Statue は、1993年に建てられたものだそうです。この方自体はご覧のとおりで、これ以上のものではありませんが、ここからはレイク・ビューポイントとは別の角度から市街地を見下ろすことができるので、そっち方面に興味のある方には、ある意味お薦めのスポットです。
《白仏の丘の上からの眺め》【世界遺産】

これが、先ほどとは違う角度から見た市街地の様子です。レイク・ビューポイントは写真左上方向、左下が市街地中心部になります。
《仏歯寺 ①》【世界遺産】

仏歯が納められた黄金の舎利容器は7重の小箱になっていて、1日3回のプージャ(礼拝の儀式)の間、数分間だけ小窓から見ることができるということで、夕方の18時のプージャーに合わせて仏歯寺を訪問しました。因みに、見られるのはあくまで仏歯が納められた箱であって、この箱が外に持ち出されることすら毎年の夏に開催される「ペラヘラ祭」(Esala Perahera)の時だけで、実物の仏歯が見られるのはごく稀なことだそうです。
《仏歯寺 ②》【世界遺産】

これが仏歯が祭ってある境内の部屋で、正に今カーテンが開けられようとしているところです。
この後、上野公園に初めてパンダがやってきた時や、モナリザが日本で公開された時のような行列に並んで小さな窓から中を覗くことができましたが、あっという間の出来事で写真を撮ることもできませんでした。
《仏歯寺 ③》【世界遺産】

スリランカを代表する寺院だけあって、仏歯寺の中には、仏歯以外にも多くの仏像が沢山の象牙の装飾に守られて立ったり座ったりしています。
《キャンディ湖 ①》【世界遺産】

キャンディの町の南東に位置する日比谷公園を一回り大きくしたほどの面積を持つキャンディ湖(Kiri Muhuda 又は The Sea of Milk)は、1807年から5年の歳月をかけて築造された人造湖です。
《キャンディ湖 ②》【世界遺産】

湖に浮かぶご覧の島は王室のハーレムになっていて500mほど離れた王宮と地下トンネルで繋がっていたというような噂もあるそうですが、実際にはそのような事実は確認されていないそうです。
《キャンディのクイーンズ・ホテル》【世界遺産】

キャンディ湖の畔、市街地の入口に当たる交差点に立つ Queen's Hotel は、キャンディで最も有名なホテルです。スリランカではこのように立派な大規模ホテルに泊まらなくても、安くていいホテルは星の数ほどあるのですが、ランドマークとしては非常に優れた役割を果たしています。
《キャンディ中心部の町並み》【世界遺産】

クイーンズ・ホテルの前から北へ続く目抜き通り D.S.セーナーナーヤカ・ウィーディヤ通り(D.S.Senanayaka Vidiya)です。整然としているように見えますが、この先は小さな商店が密集する下町のような賑わいです。
《ペーラデニヤ植物圓 ①》

キャンディ中心部から西に5kmほどのところにある Peradeniya Botanical Garden は、1371年に当時の王が王妃のために造った庭園を基に1843年に植物園として解放されたもので、その由来から Royal Botanical Gardensとも呼ばれています。4000種類以上の植物が植えられ、キャンディ観光の目玉の一つとも言われています。
《ペーラデニヤ植物圓 ②》

特に蘭の種類は豊富だそうで、スリランカ固有種を含め多種類の蘭を楽しむことができます。
《ペーラデニヤ植物圓 ③》

ただし、私は花に関しての知識がほとんど無いため、どれが美しくてどれが珍しいのかといった判断が全くできなかったのが残念です。
《川辺の風景 ①》

前述の通り、キャンディは国内有数の都市ですが、中心部を少し離れると、川辺では女性たちが思い思いの場所で洗濯に興じている姿が見られるなど、のんびりとした雰囲気に包まれています。
《川辺の風景 ②》

それにしても、インドやバングラデシュ同様、女性の服装は洗濯時とは思えないほど華麗です。
《象の孤児圓 ①》

こちらも洗濯の様子ですが、洗われているのは象です。
キャンディの西約40kmにあるピンナワラの村には、親を亡くしたり群れからはぐれてしまった子象を保護している象の孤児圓(Pinnawala's Elephant Orphanage)があります。
《象の孤児圓 ②》

ここは、2012年現在で3世代にまたがる約80頭の象が育てられている世界最大の象の保護施設として、象好きの間では知らない人がいないほど有名な場所だそうです。
《象の孤児圓 ③》

それにしても孤児圓なのになぜ3世代もいるのかというと、もともと1975年に別の場所で設立された施設は、1982年以降、孤児の保護だけでなく繁殖も行なうことにより観光収入を得て、その収益を更に象の保護に回そうということになったためだそうです。一方、2011年以降には、成長した象の一部は寺院などに贈られ大切にされているということです。
《象の孤児圓 ④》

写真と説明がだんだん噛み合わなくなっていますが、時間になると象たちは水浴び場から食事処に移動し、先ほどまで賑わっていた水場は子象一匹いなくなってしまいました。
《象の孤児圓 ⑤》

水浴び場の近くにはレストランやホテルも設置されお陰様で多くの観光客で賑わっていますが、食事の時間になると、それらのお客さんも象共々移動し、特に子象がミルクを与えられる場面などは大層な人気のようで何よりです。
《象の孤児院 ⑥》

食事が終わると、あとは自由時間です。全体で10ヘクタールと、非常に広いとは言えないまでも、山あり川あり平原ありの敷地内は、象たちがストレスなく暮らすことのできる最低限の広さと設備は整っているようで一安心です。
《キャンディアン・ダンス ①》

アルゼンチンでタンゴ、日本でカブキが有名なように、キャンディの夜のお楽しみは、スリランカを代表する伝統舞踊 キャンディアン・ダンスです。
《キャンディアン・ダンス ②》

元々は、キャンディ王朝時代(1469年~1815年)に宮廷内で踊られていたものが、1916年以降、ペラヘラ祭でも踊られるようになり、現在ではキャンディ市内のいくつかの場所で観光客相手に上演され、人気を博しています。
《キャンディアン・ダンス ③》

こちらは若干上海雑伎団の様相を呈していますが、広義のキャンディアン・ダンスと考えても差し支えない範囲とされています。
《ファイヤー・ウオーキング》

1時間ほどのショーですが、最後には火渡りの儀式なども行なわれ、結構中身の濃い内容になっています。17時30分頃から上演される場合が多いので、時間があれば、夕食前の腹ごなしを兼ねてでも是非ご覧いただくことをお薦めします。
《マータレーの石窟寺院入口》

キャンディの北約25kmの町 Matale の北にある石窟寺院 アルヴィハーラ(Aluvihara)は、もともと紀元前3世紀に建てられ、その後仏教徒達の集会所として利用されていたと言われる仏教寺院です。
《マータレーのアルヴィハーラ内部》

国内では、アヌラーダプラ(Anuradhapura)、ダンブッラ(Mihintale)、ミヒンタレー(Dambulla)に次ぐ古い寺院で、多くの歴史的仏典が保存されていましたが、1848年のマータレー暴動の際にその多くがいくつかの建造物と共に失われてしまいました。それでも、被災を免れた(又は修復された)寝仏像や坐像は天井や壁の見事な装飾に彩られて、非常に見応えがあります。
《地獄絵図 ①》

その中でも、第2窟に描かれた地獄絵図は正に地獄を絵に描いたような絶景が圧巻です。
《地獄絵図 ①》

これを見たら、もう絶対悪いことはするまいと心に誓うしかありません。小学校や中学校の修学旅行先としてお薦めです。
《ダンブッラの黄金大仏》

マータレーの北約50km、キャンディからだと約70km北に位置する Dambulla には、スリランカ最大の石窟寺院があり、この石窟寺院は「ダンブッラの黄金寺院」(Golden Temple of Dambulla)というタイトルで、1991年に世界遺産に登録されています。なお、写真の Golden Buddha という大仏は、その微妙な名前で入口に堂々と鎮座していますが、残念ながら世界遺産ではありません。
《ダンブッラの石窟寺院》【世界遺産】

こちらが本物の世界遺産の石窟寺院です。
紀元前3世紀頃に僧院として開かれ、紀元前1世紀以降には寺院として発展を続け、12世紀までにはこの国を代表する仏教寺院となったそうです。岩山の中腹に掘られた5つの石窟の内部に金箔を施された仏像が全部で160体以上も安置されていることから黄金寺院と呼ばれています。
《ダンブッラの石窟内部 ①》【世界遺産】

この石窟寺院は国内最大規模であると同時に最も保存状態が良い石窟寺院だそうで、壁や天井一面に描かれた壁画や安置された多くの仏像は、どれも確かに非常に美しいものです。
写真は第一窟に横たわる身長約14mの涅槃仏です。
《ダンブッラの石窟内部 ②》【世界遺産】

第二窟は5つの石窟の中で最も大きく、幅約52m、奥行き約25m、高さは最も高い入り口付近で約6mもあり、16体の立像と40の坐像が安置されています。
また、壁と天井一面に描かれた壁画は面積約2,100㎡に及ぶそうです。
《ダンブッラの石窟内部 ③》【世界遺産】

こちらも第二窟です。
《ダンブッラの石窟内部 ③》【世界遺産】

石窟とは思えないほど広々とした空間は極彩色に彩られています。特に天井画は圧巻です。
《ダンブッラの石窟内部 ④》【世界遺産】

こちらは第三窟です。石窟は第二窟から第五窟に向かって、だんだん狭く、かつ新しくなっていきます。
狭いとはいうものの、それでも50体以上の仏像が置かれているそうです。
《ダンブッラの石窟内部 ⑤》【世界遺産】

第三窟の涅槃仏は、第一窟のものには及びませんが、それでも身長は約9mあります。
《ポロンナルワのポトグル・ヴィハーラ》【世界遺産】

ダンブッラの東、経路にして60km弱にあるPolonnaruwa は、西暦1017年から1255年までシンハラ王朝の首都だったところで、インドからの侵略を受け遷都されてからはジャングルに埋もれていましたが、20世紀に入ってから発掘され、1982年に世界遺産に登録された遺跡です。
写真は、かつて仏教経典が所蔵されていた謂わば図書館と言える Potgul Vihara です。
《ポロンナルワの立石像》【世界遺産】

ポトグル・ヴィハーラから100mほどに立つ岩に彫られた身長2mほどの立像 Statue of Unknown Man or The Sage は、当時の王をモデルにしたものという説もありますが、英語名が示す通り、正確なところはまだわかっていないそうです。
《ポロンナルワの貯水池》【世界遺産】

ポロンナルワの遺跡群は、パラークラマ・サムドラ(Parakrama Samudra)と呼ばれる巨大な貯水池の畔にあります。この貯水池は12世紀に灌漑用に整備されたものだそうで、当時の首都の自給自足を可能にした優れた設備であっただけでなく、現在でもこの地域の人々の生活に十分な水資源の供給元となっています。
《ポロンナルワの宮殿跡》【世界遺産】

遺跡群のほとんどは、ポロンナルワ保護区(Polonnaruwa Sanctuary)と呼ばれるよく整備された公園の中にありますが、主なものだけでも東西2km、南北5kmの範囲に点在しているので、車で回っても4~5時間、自転車だとほぼ一日かかってしまうほどです。
《ポロンナルワの閣議場跡》【世界遺産】

1枚前の写真は、メイン・ゲートの手前にある宮殿跡(The Royal Palace)で、現在では3階部分の壁までしか残っていませんが、元々は7階建てだったと推測されています。
宮殿内の奥には一段高いところに閣議場(King's Council)跡が残っています。
《ポロンナルワの閣議場跡の入口》【世界遺産】

閣議場の入口には、魔除けのためのガードストーンが両側に配置され、手前には輪廻を表す半円状のムーンストーンと呼ばれる石板が設置されています。
《ポロンナルワの沐浴場》【世界遺産】

宮殿跡の100mほど東にある Kumara Pokuna です。この時は水は抜かれていましたが、場合によってはきれいな水や、水草に覆われた水が張ってあることもあるようです。
《ポロンナルワのシヴァ・デーワーラヤ》【世界遺産】

ポロンナルワは仏教遺跡ですが、ここに首都が置かれていた末期の13世紀に建てられた Siva Devalaya は、インド文化の影響を受けたヒンドゥー教寺院です。
《ポロンナルワのトゥーパーラーマ》【世界遺産】

メイン・ゲートのすぐ北に位置するクワドラングル(Quadrangle、四角形という意味)は、その名の通り城壁に囲まれた四角形の庭に11の建築物が集まっているポロンナルワの心臓部ともいえる場所です。写真はクワドラングルの南の入口から入って最初に登場する Thuparama と呼ばれる仏堂です。見たからにごつい建物ですが、壁は2mの厚さだそうで、そのお陰もあってか屋根もまだ残っています。
《ポロンナルワのワタダーゲ》【世界遺産】

クワドラングルの中央に位置する Vatadage は、円形の台座の上に建つ壁に囲まれた仏塔で、大きさもさることながらクワドラングルで一番見応えがある建築物です。四方に入口があって、それぞれにムーンストーンとガードストーンが設置されており、壁の内側では東西南北を向いた4体の坐像が睨みを利かせています。
《ワタターゲのムーンストーン》【世界遺産】

スリランカでは、寺院などの神聖な施設の入口にムーンストーンが玄関マットのように設置されています。昔はこのムーンストーンの上で足を洗ってから中に入ったそうです。魔除けであると同時に、ここから先は神聖な場所なので気を付けなさいという意味もあったようです。
《ポロンナルワのハタダーゲ》【世界遺産】

既にお気づきの方も多いと思いますが、この辺りまで来ると遺跡に興味のない人には全くお門違いの写真と情報が続いています。個人的には私も微妙な感じなのですが、せっかく撮った写真だし、ここで掲載しないと、もう二度と見ることはなくなってしまうと思い、見どころと言われているもののうち主なものだけでも掲載させていただきます。
そんな訳で、ワタダーゲの次は Hatadage(仏歯寺)です。
《ポロンナルワのアタダーゲ》【世界遺産】

勘の鋭い方はもうお察しかと存じますが、ワタダーゲ、ハタダーゲと来たら次は Atadage です。こちらも仏歯寺跡だそうですが、アタダーゲというのは8つの宝の家という意味だそうです。他の2つのダーゲの意味も一所懸命調べたのですが結局わかりませんでした。申し訳ありません。
《ポロンナルワのガルポタ》【世界遺産】

ハタダーゲの東隣に置かれた Gal-Potha(別名 Stone Book)は、長さ8.2m、幅1.4m、厚さ約45cmの石に72行に渡って4,300の文字が書かれた本の形をした石碑で、当時のニッサンカ・マーラ(Nissanka Malla)王が自分を称賛する文章等を彫らせたものだそうです。
《ポロンナルワのサトゥマハル・プラサーダ》【世界遺産】

Satmahal Prasada は、クワドラングルの北端に建つ7層から成る塔で、タイの建築様式の影響を受けているとのことで、当時の仏教徒の交流を示すものだそうです。
《ポロンナルワのランコトゥ・ヴィハーラ》【世界遺産】

クワドラングルを出て北に1.2kmほど行ったところにある Rankot Vihara は、高さ及び直径が55mあるダーガバ(Dagoba、仏塔、ストゥーパ)で、ポロンナルワで最も大きな建造物です。ランコトゥ・ヴィハーラとは、金の尖塔(Golden Pinnacle)という意味で、かつては尖塔の部分が金で覆われていたそうです。
《ポロンナルワのガル・ヴィハーラ ①》【世界遺産】

Gal Vihara は、ランコトゥ・ヴィハーラの北1.5kmほどにセットで並ぶ仏像3体で、左から坐像、立像、涅槃像の順となっています。写真の坐像は小さく見えますが、これでも4.6mの高さがあります。
《ポロンナルワのガル・ヴィハーラ ②》【世界遺産】

中央に立つ立像の高さは7mです。モデルは、ブッダの一番弟子のアーナンダ(Ananda)と言われています。
《ポロンナルワのガル・ヴィハーラ ③》【世界遺産】

その隣は仏陀の涅槃像ですが、こちらは身の丈14mもあります。隣に立つ7mの立像が子供に見えます。
《ポロンナルワのガル・ヴィハーラ ④》【世界遺産】

既に涅槃に入ってしまわれたのか、とても優しい表情ですやすやとお休みになっています。
《シーギリヤ・ロック》【世界遺産】

こちらはスリランカ旅行のハイライトとも言える Sigiriya Rock です。ポロンナルワとダンブッラの間のジャングルに突然現れるこの高さ約195m(標高370m)の岩山は、1982年に「古代都市シギリヤ」(Ancient City of Sigiriya)として世界遺産に登録され、スリランカで最も人気の高い観光地となっています。
《シーギリヤ・ロック中腹からの眺め》【世界遺産】

麓から頂上までは普通に歩いて約40分ほどです。1枚目の写真を見てもわかるとおり、基本的に断崖絶壁の岩山なので非常に勾配がきつく階段が多く、結構疲れます。景色を楽しみながらゆっくり登るのがよいでしょう。
途中の通路からは、はるか遠くまで続くジャングルと、すぐ下には岩山に向かって伸びる美しい庭園(Wter Gardens)などが見渡せます。
《シーギリヤ・ロックのライオン・テラス》【世界遺産】

30分ほど登って、体力のない私にはもう限界だと思った頃、広場になったような場所に出ます。
ここは、ライオン・テラス(Lion Terrace)と呼ばれ、ライオンの両前足の爪の形をした宮殿への入口があります。元々は足や頭部もあったそうですが、残念ながら今は跡形もありません。
ここから階段を登っていけば、頂上はもう間もなくです。
《シーギリヤ・ロックの王宮跡 ①》【世界遺産】

ようやく頂上に到着です。甲子園球場のグラウンド(14,700㎡)を一回り大きくしたほどの約16,000の広さがあります。
《シーギリヤ・ロックの王宮跡 ②》【世界遺産】

シーギリヤ・ロックの頂上にある王宮は、カッサパ(Kashapa)1世により、建設されました。クーデターによって父から王権を奪取した彼は、母が平民出身であったため、王族出身の母を持つ弟に王位を奪還されることを恐れ、西暦477年の即位と同時にここに遷都し、7年の歳月をかけて484年に要塞状の王宮を完成させました。
《シーギリヤ・ロックの王宮跡 ③》【世界遺産】

それから11年後の西暦495年に、南インドに亡命していた弟は軍隊を引き連れてリベンジを試み、激しい戦いの末にカーシャパは自害し、めでたく弟が王位を奪還したのでした。
新しい王は遷都したため、シーギリヤはこの後14世紀頃まで僧院として利用されましたが、その後は1875年に発見されるまで再びジャングルに埋もれることになりました。
《シーギリヤ・ロックの王宮跡》【世界遺産】

これが本当の頂上です。更に一段高くなっています。恐らく玉座があったのでしょう。強欲なカッサパ1世にとって11年は短かったかもしれませんが、国民や家臣にとっては気の遠くなるほど長い我慢の時間だったのかもしれません。そんな彼が造った要塞が今では人の心を惹きつけているというのも皮肉な話です。
  《シーギリヤ・ロックの頂上付近から見た下界の様子 ①》【世界遺産】

先ほど登山中に見えた前庭です。岩山に負けない美しさです。
  《シーギリヤ・ロックの頂上付近から見た下界の様子 ②》【世界遺産】

あまりに美しいのでズームでもう一枚。
因みに、この前庭部分も5世紀後半に造られたものですが、既に上下水道も整備され、岩山へも風力によるポンプで水を汲み上げる技術が導入されていたとのこと、当時の都市開発事業の見本として高く評価されているそうです。
《シーギリヤ・ロックの頂上付近から見た下界の様子 ③》【世界遺産】

南側の麓にあるシギリヤ池(Sigiriya Tank)です。何もないジャングルの池のように見えますが、この辺りにも高級ホテルやゲストハウスが多くあるので、ロックのすぐ近くに宿泊することも夢ではありません。
《シーギリヤ・ロックの階段》【世界遺産】

帰りも階段です。遙か下に地面が見えますが、上りと平行する一方通行になっているので安全です。なお、階段自体は世界遺産ではありません。
《シーギリヤ・ロックの投石機》【世界遺産】

中腹には投石機(右上の大きな岩)が仕掛けられています。数多くの小さな石の上に乗っかっていますが、どうやって発射するのかは不明です。おまけに一期一会、一度発射したら次は無さそうです。
《シーギリヤ・レディー ①》【世界遺産】

そうこうしているうちにシーギリヤ・ロック観光の最大の目玉、Sigiriya Rock Paintings(又は Frescoes of Sigiri Damsels)です。岩山の西の側面に描かれています。普通の人は登る途中で立ち寄るようですが、私の場合、理由は定かではありませんが帰り道になってしまいました。
《シーギリヤ・レディー ②》【世界遺産】

シーギリヤ・ロックは、1875年にこの岩山を望遠鏡で眺めていたイギリス人がたまたまこのフレスコ画を発見したことにより発掘が開始されたそうです。彼女たちの活躍がなければ、世界遺産はおろか未だに森の中の唯の岩山だったかもしれません。
《シーギリヤ・レディー ③》【世界遺産】

元々は500人ほど描かれていたと推測されていますが、現在も残っているのは18人だけとのことです。
なお、彼女たちは、野球拳とは逆に、基本的に裸であるほど位が高く、低いほど服を着ているそうです。
《アヌラーダプラのスリー・マハー菩提樹》【世界遺産】

シーギリヤの北西70kmに位置する古都 Anuradhapura の遺跡群は「聖地アヌラーダプラ」(Sacred City of Anuradhapura)として1982年に世界遺産に登録されました。
写真の Sri Maha Bodhi Tree は、仏陀が悟りを開いたというインドのブッダガヤにある菩提樹の枝を紀元前3世紀に植樹したものだそうで、スリランカ人にとって重要な巡礼地となっています。
《アヌラーダプラのルワヌェリ・サーヤ仏塔》【世界遺産】

Ruwanweli Seya Dagoba は、紀元前140年に建てられた、直径92m、高さ70m(尖塔頂までは103m)のダーガバで、遺跡地区の中心に位置し、アヌラーダプラのシンボルともなっています。
《アヌラーダプラの猿 ①》

非公式ながらアヌラーダプラのもう一つのシンボルとなっているのが猿です。日光のいろは坂の猿のように強引な者が多く、仏様へのお供え物の花さえ食べ散らかしたりして、あまりマナーが良くありません。
《アヌラーダプラの猿 ②》

傍若無人に座り込んで、鋭い目つきで絶えず獲物を探しています。
《アヌラーダプラの猿 ③》

ただ、中にはこんなに平和な奴らもいます。
《アヌラーダプラの猿 ④》

世の中のために頑張っている輩もいました。
《アヌラーダプラのミリサワティ仏塔》【世界遺産】

Mirisaweti Dagoba は、あまり有名ではありませんが、小振りながら最も状態が良く気に入りました。
《バサワックラマ・ウェワ ①》

スリランカの古代遺跡の多くには、当時整備された灌漑用の池が多く残っています。アヌラーダプラにも、3世紀後半に16も貯水池と運河が建設されたとのことで、その一つ、遺跡地区のすぐ脇に広がるこの Basawakkulama Wewa も、今でも豊かな水を湛えています。
《バサワックラマ・ウェワ ②》

ワニはいないようなので、地元の人たちや動物たちに安心して利用されています。ワニは怖いですからね。
《アヌラーダプラのサマーディ仏像》【世界遺産】

4世紀に建造された Samadhi Buddha Statue です。なお、釈迦に説法のようで恐縮ですが、サマーディというのは「ある夏の日」というという意味ではなく、精神集中が深まりきった状態を指し、漢字で書くと三昧となるそうです。日本では、中華三昧、贅沢三昧など日常生活でも時々見られる現象です。
《アヌラーダプラのアバヤギリ仏塔》【世界遺産】

紀元前1世紀に大乗仏教の総本山として建てられた Abhayagiri Dagoba は、74mの高さを誇り、アヌラーダプラ最大の建造物です。ただ、現在は大乗仏教はスリランカから撤退してしまったとのことで、ご覧の通り表面には草木が覆い茂り斜陽感たっぷりの悲しい姿になってしまっています。
(追記:4億円を超えるユネスコ等の援助により15年かけて修復され、2015年に美しい姿に生まれ変わっており、新しいアヌラーダプラの顔となりつつあります。)
《アヌラーダプラのクッタム・ポクナ》【世界遺産】

Kuttam Pokuna は、当時ここで修行を行なっていた僧達の沐浴場です。近くの人工池から引いた水で身体を清め、排水は水田に流すという最新のエコシステムが採用されていたそうです。
《アヌラーダプラのジェータワナ・ラーマヤ》【世界遺産】

こちらもユネスコの厚意で修復中のダーガバ Jatavana Ramaya です。3世紀に建てられた当時は高さ122m、尖塔の先端までだと152mあったそうですが、諸般の事情によって、現在では70mに縮んでしまったそうです。
《アヌラーダプラのイスルムニヤ精舎の寝仏像》【世界遺産】

Isurumuniya Vihara は、紀元前3世紀頃に建てられた僧院の一部が改修され自寺になったもので、本堂に横たわる写真の涅槃像は、東京の浅草寺の援助で色の塗り替えが行なわれたものだそうです。
《帰路》

主立った観光を終了し、帰路に就きます。
なお、申し遅れましたが、今回の旅行では、ヌワラエリヤに向かう列車の中で勧誘された現地ガイドの親父に車を手配してもらって周遊しました。物価の安いスリランカでは外国人旅行者がよく使う手です。そんな事情もあって、最後の夜は、その親父の実家で民泊することになりました。
《村の青果店 ①》

親父の家はコロンボの南の海岸沿いのリゾート地ヒッカドゥワ(Hikkaduwa)に程近いアクララ(Akurala)という田舎町で、アヌラーダプラからは約300km、車で5時間の道のりです。
そんな訳で、親父とドライバーは実家への土産を買いにアヌラーダプラ近郊の青果店に立ち寄りました。
《村の青果店 ①》

親父の地元で手に入らないのかどうか分かりませんが、日本ではあまり見たことのない野菜が並んでいます。
《最後の昼食》

途中立ち寄った非常に大衆的な食堂での、恐らく典型的な大衆ランチセットです。
《池の水牛 ①》

途中、珍しい物が見られるので期待してくれと言われて少し期待していたところ、水浴びをする水牛の池に立ち寄ってくれました。
《池の水牛 ②》

絵になる景色ではあります。少し期待していただけなので満足度はまあまあでした。
《魚屋》

海岸沿いに来ると、沿道には魚屋を営む人たちが軒を並べていました。商品はほとんどがカツオですが、素人目から見ても鮮度は非常に良いようでした。連れの親父(というか私の方が連れなのですが)も今晩の食卓用に仕入れていました。
《民泊》

自称ガイド(ただしライセンス保有)のご自宅です。結構立派なお住まいです。ガイド業というのはそんなに美味しい商売なのでしょうか。個人的には比較的安かったと感じたのですが、この国の物価水準から考えると満更でもないのでしょう。
《アクララ・ビーチ》

近所のビーチです。地元の人しかいないようでしたが、南国情緒溢れる非常に素敵なビーチでした。
スリランカの観光地は宗教チックなイメージがありますが、美しいビーチもたくさんあり、リゾート・ライフを求める外国人にも大人気の島なのです。
《線路》

コロンボから南の主要都市ゴール(Galle)などを結ぶ幹線鉄道の線路です。踏切には係員が常駐して、いざという時のために備えていました。
《鉄道写真》

列車が通過します。田舎鉄道だと思っていたら結構なスピードですぐ脇を駆け抜けて行ったのでびっくりしました。
《黄昏のアクララ》

夕暮れ時はどこもロマンチックです。
《民食》

親父の奥様の手作り料理です。これに大ぶりのラーメン丼に山盛り入った白米が同時提供されます。家の人は後で食べるのか一緒ではなかったので、一人で黙々と食べました。途中で何度もお腹一杯になりましたが、時々親父が現れて遠慮しないで食べろと言ってくるので、できるだけのことはしたつもりです。
《集合写真》

自称ガイドの親父とそのご家族です。一番左が件の親父です。この後、コロンボ空港まで車で2時間ほどの道のりを送ってもらってお別れとなりました。最後までお世話になりました。



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