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旅の写真集  インド共和国(その10)HEADLINE

インド観光の旅行記を兼ねた写真集(その10)です。ここでは、インド北東部、ヒマラヤ山脈の東に位置する、お茶と鉄道の町ダージリンとチベット文化の色彩が強いシッキム州の様子をご紹介します。

《シリグリの町》

インドの地図を見ると、最東北部のシッキム(Sikkim)州やアッサム(Assam)州はバングラデシュ、チベット、ブータンに囲まれて首の皮一枚繋がったようなシリグリ回廊(Siliguri Corridor、別名Chicken's Neck)の奥にあるのがわかります。その入口にあるのがシリグリの町です。この町の9km西にあるバグドグラ(Bagdogra)空港は、これらの地域への空の玄関です。
《乗合ジープ》

シリグリからはダージリン(Darjeeling)の他、シッキム州の主要な町(ガントクやカリンポン)へのバスや乗合ジープが頻発しています。
私が乗ったこのジープはダージリンまで約3時間で160ルピー(約220円)でした。なお、インドでは通常バスや乗合タクシーの料金は一律なので交渉の必要はありませんし騙されることもほとんどありません。ただし、お釣りは丁寧に確認する必要があります。
《ダージリンへの道》

シリグリが標高約120mであるのに対して、ダージリンは2,100m以上となるため、63kmの道のりで約2,000m登ります。そのため、途中には日光のいろは坂クラスのヘアピン道路もいくつかあります。
《タイガー・ヒル ①》

ダージリンの約10km南にある標高2,590mの Tiger Hill は、ヒマラヤの雄大な眺めが見られる展望スポットとして有名で、特に日の出見物は人気があります。
せっかくなので3:30に起きて出かけましたが、この日は雲が立ちこめていてヒマラヤは全く見えませんでした。
《タイガー・ヒル ②》

それでも、溢れかえるインド人観光客の皆さんは写真撮影に夢中です。視力のいい彼らにはヒマラヤが見えるのでしょうか。
ただ、仮に見えたとしても写真には写らないと思いますが。。。
《サムテン・チョリン・ゴンパ ①》

ダージリン周辺では数多くのチベット式仏教寺院(ゴンパ)が見られます。
Samten Choling Gompa は、タイガー・ヒルに程近いグーム(Ghoom)の町の幹線道路沿いに建つ1875年建立のゴンパです。
《サムテン・チョリン・ゴンパ ②》

1kmほど南にあり1850年に建てられたイガ・チョリン・ゴンパ(Yiga Choling Gonpa)が Old Ghoom Monastery と呼ばれ多くの信者を集めているにもかかわらず、こちらは地元での人気は劣るものの多くの人々の間で単に Ghoom Monastery と呼ばれています。
《サムテン・チョリン・ゴンパ ③》

その理由として、このゴンパの内部には西ベンガル州で最も大きい約8mの高さの仏像が鎮座しており、これを見るために多くの観光客がタイガー・ヒル観光のついでに立ち寄るためです。
《ドゥルク・サンガ・チョリン・ゴンパ ①》

一方で、こちらはダージリンとグームのちょうど中ほどにある Druk Sangak Choling Gompa です。
《ドゥルク・サンガ・チョリン・ゴンパ ②》

1993年に完成した新しい寺院ですが、ダライ・ラマ14世によって落成されたほどの由緒あるものだそうです。
《ドゥルク・サンガ・チョリン・ゴンパ ③》

バブル期の日本の大規模温泉旅館のような佇まいですが、約300人の僧侶が住み込みで修業しています。
《ドゥルク・サンガ・チョリン・ゴンパ ④》

内部にはチベット寺院ではお約束の巨大なマニ車がいくつも設置されています。
《ダージリン駅 ①》

ダージリン・ヒマラヤ鉄道の終着駅ダージリン駅では、いつでも紅茶を楽しめるよう、紅茶の販売員が線路脇でお店を広げています。
《ダージリン駅 ②》

運行本数が多くなく隣を走る幹線道路よりよっぽど安全なため、構内は歩行者天国となっています。
《ダージリン駅 ③》

通学路としても好んで利用されています。
《ダージリン駅 ④》

犬もたくさんいます。

因みに、車両の脇に書かれているDHRというのはDarjeeling Himalayan Railway の略です。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ①》【世界遺産】

運行本数は少ないにもかかわらず、必要以上に(かどうかは不明ですが)機関車が出入りします。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ②》【世界遺産】

なお、一部の鉄道マニアの間ではこの路線を走る蒸気機関車は、その可愛らしい容貌から「トイ・トレイン(Toy Train)」という愛称で親しまれています。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ③》【世界遺産】

駅構内にはこの鉄道の歴史が書かれたボードが恭しく掲げられています。
自分で言うのも何ですが、「the most tourist friendly Hill Railway of the world(世界一観光客に優しい山岳鉄道)」だそうです。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ④》【世界遺産】

ネパールでお馴染みの「仏陀の知恵の目」が、喪黒福造氏のようにフレンドリーに微笑んでいるのも好感が持てます。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑤》【世界遺産】

そんな甲斐もあって、1999年にはオーストリアのゼメリング鉄道に次いで鉄道としては世界で2例目の世界遺産に録されました。

*その後、国内の他の2路線(ニルギリ山岳鉄道及びカルカ・シムラ鉄道)も追加され「インドの山岳鉄道群」というタイトルで登録されています。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑥》【世界遺産】

観光客にはトイ・トレインとして有名ですが、写真のような立派なディーゼル機関車も運行されています。
なお、この路線は軌間 610mmの狭軌を採用しているため、広義ではこれも含めてトイ・トレインと言います。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑦》【世界遺産】

トイ・トレインは一日往復4便運行されており、始発便だけがディーゼル機関車です。
写真では判り辛い(手書き)ですが、蒸気機関車だとグームまでの往復で 1,090ルピー(約1,900円)であるのに対してディーゼルだと 625ルピー(約1,080円)と、大きな差があります。
更に言うと、1日数本出ている、一般の(観光客でない)インド人が乗る列車だと、グームまで片道30ルピー(約50円、ファーストクラスだと140ルピー)です。
随分な格差社会であることが窺えます。
それでもバスに比べたらまだよっぽど高いのです。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑧》【世界遺産】

そのような複雑な状況ではありましたが、せっかく飛行機や電車やバスや乗合ジープを乗り継いではるばるここまで来た私は、特別乗り鉄というわけではない(自称)にもかかわらず、ファーストクラスより遙かに高いトイトレイン(それも蒸気のやつ)に乗ることにしました。
これがその記念すべき車内の様子です。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑨》【世界遺産】

列車は定刻通りの発車、往復約2時間の列車の旅の始まりです。
《インドの車窓から ①》

朝見たお寺が見えます。
《インドの車窓から ②》

相変わらず色々な意味で鬼怒川温泉郷のようです。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑩》【世界遺産】

ダージリンを出発して5km、グームの手前約2kmにあるバタシア・ループ(Batasia Loop)で10分ほど停車(往路のみ)します。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑪》【世界遺産】

1879年に建設が始まり2年後の1881年完成したこの鉄道は、シリグリ中心部の2kmほど南にあるニュー・ジャルパーイーグリー(New Jalpaiguri)駅からダージリンまでの88kmの間を結んでいますが、コストカットのために急勾配をトンネル無しで建設したためループ部とスイッチバックがそれぞれ5箇所あるという、鉄道好きにはたまらない路線なのです。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑫》【世界遺産】

ループ内は公園になっていて、中央には1947年のインド独立戦争のために犠牲になったグルカ兵の戦没記念碑(Batasia Gorkha War Memorial)が設置されています。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑬》【世界遺産】

晴れていれば、遠くヒマラヤの峰々を背にダージリンの町が望める絶好のビューポイントだそうですが、この日は生憎深い霧が立ちこめていてほとんど何も見えませんでした。
おかげで乗客は若干手持ちぶさたそうに列車を取り囲んでいますが、外国人旅行者を始め、インド人の家族連れ、坊さんのパーティーなど、全員がとても楽しそうにしている姿が印象的でした。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑭》【世界遺産】

ダージリン出発後50分ほどでグーム駅に到着、この駅は標高2,258mにあり、この路線で最も高所の駅です。
ここでは機関車の逆連結作業のために約30分しますが、折り返しの乗客はその間、駅に隣接する鉄道博物館を見学(料金はチケットに込み)したりして過ごすことができます。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑮》【世界遺産】

無事最連結が終了し、撮り鉄垂涎の的、蒸気機関車とディーゼル機関車の揃い踏みの完成です。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑯》【世界遺産】

改めて蒸気機関車の勇姿です。
停車中にも機関士の皆さんは石炭の補給に余念がありません。
《ダージリン・ヒマラヤ鉄道 ⑰》【世界遺産】

列車は時速20kmほどで進むため、発車すると多くの観光客が窓からカメラやビデオでの撮影を敢行します。
私も積極的に参加しましたが、機関車からの煙をほとんど感じないのをいいことに長期間激写していたところ、降りる頃には髪の中に細かい石炭のカスがじゃりじゃりに積もっていました。
幸いカメラは無事でしたが、皆さんも機会があったら用心しましょう。
《ダージリン中心部の街並み ①》

帰りは寄り道することなく40分でダージリンに到着です。朝早かったこともあり、これだけ活動してもまだ午後1時前でした。
とりあえず、頭の中を掃除するためシャワーを浴びるべくホテルに直行です。
《ダージリン中心部の街並み ②》

ダージリンはとても山奥の町ですが、冷涼な気候による避暑地として古くから栄え、19世紀から続く紅茶の栽培のお陰もあって世界的にも有名なことから結構美しい落ち着いた街並みとなっています。
ただ、ご覧の様に山の斜面に開けた町なので、町の中は急な坂が多く、標高も高いため少し歩くだけでも非常に疲れます。
《ダージリン中心部の街並み ③》

町の頂上近くの中心部を走るネルー通り(Nehru Rd.)です。
両側にレストランやゲストハウス、土産物店などが並び、ダージリンを訪れた人は必ず何度も通るお馴染みの道です。
《ダージリンのチョウラスター》

ネルー通りの突き当たりにありダージリンの町の頂上とも言える広場が Chowrasta で、多くの地元民や観光客でいつも賑わっています。
《ダージリンのオブザバトリー・ヒル ①》

チョウラスターを抜けて更に北に進み脇道を登っていくと Observatory Hill という丘があります。
名前に反して周囲の景色はほとんど見えませんが、頂上にある小さな神社のような建物の周りにはためく無数のタルチョ(チベットの5色の祈祷旗)が美しい場所です。
《ダージリンのオブザバトリー・ヒル ②》

なお、ここにはもともと、ダージリンという町の名前の起源になった Dorje Ling Gompa という寺が建っていたとのことで、地元の人たちにとって特に神聖な場所とされているそうです。
《ブティア・ブスティ・ゴンパ ①》

次に訪れたのはチョウラスターから徒歩30分ほどのところにある Bhutia Busty Gompa です。
《ブティア・ブスティ・ゴンパ ②》

山門からしてチベット感が滲み出ています。
《ブティア・ブスティ・ゴンパ ③》

もともとはオブザバトリー・ヒルに建っていたものが1879年に移設されたものだそうで、この地方では最も歴史のあるゴンパの一つです。
《ブティア・ブスティ・ゴンパ ④》

ブータンの首都ティンプーまで直線距離で約200kmというだけあって、ブータンでよく見かけたゾンに似たとても美しい建物です。
《ハッピー・バレー紅茶園 ①》

翌日は、ダージリンの中心部から北に約2km、徒歩で約30分ほどのところにある Happy valley Tea Estate を訪れました。
《ハッピー・バレー紅茶園 ②》

ダージリンは言わずと知れた紅茶の一大産地ですが、インドの紅茶の約15%はこの地域で生産されているそうです。
《ハッピー・バレー紅茶園 ③》

1枚目の建物内部では茶を摘んだ後の加工工程を無料で見学できる他、茶畑の見学も自由です。
《ハッピー・バレー紅茶園 ④》

正面にダージリンの町が見えますが、それ以外の斜面は、ほとんど茶畑で覆われています。
因みに、ダージリンには87の茶園があるそうです。
《ハッピー・バレー紅茶園 ⑤》

紅茶についての造詣は極めて浅いので慌ててウイキペディアを参照したところ、ダージリン・ティーと言えば「紅茶のシャンパン」と持て囃され、セイロンのウバ、中国のキーマンと並び世界三大銘茶と称されるほどの名品なのだそうです。
そもそもキーマン自体初耳の私ですが。
《ハッピー・バレー紅茶園 ⑥》

そのような紅茶産業で財を成したのか、あるいは全く関係ないのか、茶畑を見渡せる絶好の急斜面には誰かの住居と思われる建物がひしめいています。
《ハッピー・バレー紅茶園 ⑦》

坂道が多いので散策するにも疲れがちですが、細い路地や階段の両側に建つ、歴史を感じさせるカラフルな建物はなかなか風情があります。
《ダージリン郊外の風景 ①》

息を切らせながらしばらく斜面を登ったところから見た集落の様子です。
毎日こんな坂だらけの場所で暮らすのは非常に疲れそうですが、健康にはいいかもしれません。
《ダージリン郊外の風景 ②》

それでもまだまだ坂道は続きます。
因みに正面に見えるコンクリート剥き出しの建物は、一見無愛想ですがベランダに飾られた花やカーテンなどを見ると結構おしゃれ感が漂っています。インドに限らず、例えばアメリカなどでも、外装からは想像できないような内装の家やレストランをよく見かけます。
見た目重視の我々日本人とはちょっと価値観が違うようです。
《ダージリン郊外の風景 ③》

やっと幹線道路にでましたが、酷く渋滞していました。それもほとんどジープです。
中南米やアフリカなどでは旅行者用の4WDはランクルを始めとする日本製の車両が殆どですが、何か理由があるのでしょうか。
《シッキム州への入境チェックポイント》

ダージリンの北に位置する Sikkim 州を訪れるためにはインドのビザの他に入域許可証(Entry Permit)を取得の上で、このチェックポイント通過時に外国人登録を行なう必要があります。
なお、許可証はこのチェックポイントの他、日本のインド大使館(ビザ取得時に同時取得)、シリグリ、ダージリンなどで無料で即時取得することができます。
《ガントク中心部の街並み ①》

シッキム州の州都 Gangtok は、標高1,400mから1,700mの尾根の上に拓けた坂だらけの町です。
《ガントク中心部の街並み ②》

町を南北に貫く国道(上と左の写真)はほぼ尾根道(
北に行くほど標高が高い)で、この道自体ずっと坂なのですが、道を少し外れると東西に当たる両側は更に急な斜面となっています。
《ガントク中心部の街並み ②》

こちらは西側です。急な斜面に無理矢理建物を建てている感じで、その向こうには遙か下に狭い平地があり、その向こうはまた深い山脈です。
《ガントク中心部の街並み ③》

一方で、一般にシッキム州というと秘境とされていますが、ガントクは人口3万人を超える立派な町です。
《ガントク中心部の街並み ④》

ミニバスやタクシーも沢山走っています。
坂だらけなので利用率は極めて高いようです。
《ガントク中心部の街並み ⑤》

中心部にはカラフルな高層ビルも建ち並んでいます。
《ガントク中心部の街並み ⑥》

直前まで降っていた雷雨は上がったものの空は黒い雲に覆われていた中、雲の隙間から差し込む陽の光がちょうど中心部の高層ビル群を照らし、幻想的で美しい雰囲気を目にすることができました。
《ガントク中心部の街並み ⑥》

こちらは国道の東側の一段高くなった場所を並行して走る MG Marg(Mahatma Gandhi Road)です。
通りの入口(写真中央)には、この通りの名前の由来となったガンジーの像が立っています。
《ガントク中心部の街並み ⑦》

こんな山奥にあるのが不思議なほどきれいに整備された歩行者専用道路の両側には小綺麗なブティック、レストラン、銀行などが立ち並んでいます。
《ガントク中心部の街並み ⑧》

500mほどの長くはない道路ですが、ガントクのセンター街と言っても過言ではない洗練された雰囲気です。
《ガントク中心部の街並み ⑨》

近所のお寺から訪れたと思われる若い坊さんのグループも興奮した様子で町歩きを楽しんでいました。
  《ガントク中心部の商店》

近くにあったお店です。
Unique Grocery という意味かと思いましたが、あいにく食料品は扱っていないようでした。
よく考えたら綴りも違いますしね。
《夕暮れのヒマラヤ山脈 ①》

晴れていれば、ガントクからはヒマラヤ山脈(ネパールとシッキム州の国境を走るシッキム・ヒマラヤ)が望めます。
《夕暮れのヒマラヤ山脈 ②》

一番右に見える二つの峰(主峰と第Ⅱ峰)を持つ山が、エベレスト、K2に次いで世界3位の高さ 8,586m(主峰、第Ⅱ峰は8,476m)を誇るカンチェンジュンガ(Kangchenjunga)です。
《夜の繁華街》

先ほどご紹介した MG Marg の日没後の様子です。
とても立派な繁華街振りですが、シッキム州はインドの中で最も治安が良いとされているほどなので、日が暮れた後も危険な雰囲気は全くありません。
《朝のヒマラヤ山脈 ①》

ガントク中心部から北に8km、車で約20分ほどにあるタシ展望台(Tashi Viewpoint)は、ガントク近郊で最もカンチェンジュンガがよく見える場所ということで、翌日早朝に訪れました。
《朝のヒマラヤ山脈 ②》

幸い雲はあまりかかっておらずヒマラヤの峰は見えましたが、カンチェンジュンガは見えませんでした。
《朝のヒマラヤ山脈 ③》

多分こっちの方角だと思うんですがね。
《ガントクの街並み ①》

せっかく苦手な早起きをした割には成果は今イチでしたが、とりあえず朝食のために宿に戻りました。
写真は宿から見たガントクの町の様子です。
宿泊した宿は特に高台にあるわけではなかった(というか国道からとても急な坂を10分ほど下りたところにあった)のですが、それでもこんな景色です。如何に坂だらけかということがご理解頂けるでしょうか。
《ガントクの街並み ②》

近所はこんな様子です。
国道は一番上に見えるビル群の手前辺りを走っています。
《エンチェイ・ゴンパ ①》

食後に訪れたのは、中心部から約3km、町の北端に建つ1909年創建の Enchey Gompa です。
《エンチェイ・ゴンパ ②》

規模はそれほど大きくありませんが、地元の参拝客が多い寺院で、少年僧の姿も多く見かけます。
《エンチェイ・ゴンパ ③》

本堂はいつも通りチベット様式の美しい佇まいです。
《エンチェイ・ゴンパ ④》

どこから撮っても必ず少年僧が走り回っている姿が映り込んでしまいます。
《エンチェイ・ゴンパ》

鳥は見るのも飼うのも食べるのも大好きなのですが、種類等についてあまり詳しくわかっていません。
ただ、この写真は比較的良く撮れたと思います。
《ルムテク・ゴンパ ①》

こちらは、ガントクの南西約21km、谷間を挟んだ向かいの尾根の中腹に建つ、シッキム州最大のチベット寺院 Rumtek Gompa です。
《ルムテク・ゴンパ ②》

もともと18世紀半ばに建てられた歴史のある僧院ですが、1961年から4年間かけて再建された本堂には、1966年に中国の文化大革命で破壊されたチベットのツルプ・ゴンパ(Tsurphu Gompa)の収蔵品が多数持ち込まれ保存されているそうです。
《ルムテク・ゴンパ ③》

敷地内には本堂の他、学校や宿泊施設も完備されていて寺院全体が複合宗教施設となっています。
《ルムテク・ゴンパ ④》

そのため、相変わらず若い僧で満ち溢れています。
また、兵士の姿も見えます。
宗派による論争も抱えていることから、警備のために軍隊が駐留している珍しい寺院でもあるのです。
《ガントクのロープウエイ ①》

再びガントクです。
これまで何度も書いたとおり、ガントクは坂だらけの町なので、ロープウエイが町の要所を結んでいます。
ただ、どちらかと言うと、地元の人も含め、普段の移動に利用するというよりは、晴れた日などに景色を楽しむために乗る人が多いようです。
《ガントクのロープウエイ ②》

晴れた日にはヒマラヤの絶景も良く見える一方、眼下にはガントクの街並みも間近に見ることができるということで私も楽しみにしていたのですが、この数時間前に発生した大地震のために営業休止中だったため残念ながら夢は叶いませんでした。
なお、この地震は2015年4月25日にネパールを震源としたマグニチュード8.2のあの地震です。ここガントクでも震度6近い揺れを感じました。
個人的には東日本大震災の時に東京で感じたよりも大きな、これまでの人生で最大感度でした。
《ガントク周辺の風景 ①》

ロープウエイ駅近くの遊歩道からはガントクの東側の谷が望めました。
《ガントク周辺の風景 ②》

雲の隙間からは急斜面の棚田と小さな集落が見えます。
《ガントク周辺の風景 ③》

とても美しい棚田です。
《カリンポンの町 ①》

ところ変わって、こちらはガントクの南西約70km、ダージリンの東約50kmに位置する標高1,250mの町 Kalimpong です。
《カリンポンの町 ②》

この町も山の斜面に拓けた町なので坂だらけですが、ダージリンやガントクを訪れた後だと、まだ比較的なだらかな印象を受けます。
《タルパ・チョリン・ゴンパ》

Tharpa Choling Gompa は、町の中心部から北東に2kmほどの所に建つ 1912年建立のチベット仏教寺院です。
ブータン国境に近いこともあって、この町にもブータンのゾンを思い起こさせるデザインのゴンパが多く見られます。
《トンサ・ゴンパ》

一方、こちらはタルパ・チョリン・ゴンパの少し手前にある Thongsa Gompa です。
1692年創建という非常に歴史のある寺院ですが、現在の建物は19世紀に再建されたものだそうです。
建物の周囲に設置された219もの小さなマニ車が特徴的です。
《マンガル・ダム ①》

トンサ・ゴンパの更に南にある Mangal Dham は、1993年に建てられたヒンドゥー寺院です。
《マンガル・ダム ②》

ヒンドゥー教と言っても一種の新興宗派の寺院らしく、ピンクを基調にした他に類を見ないデザインの寺院です。
《グラハム学校 ①》

この日は市内7箇所の見どころを回ってくれるということで半日車をチャーターしたところ、個人的には特別興味の無い場所にも立ち寄ってくれました。
ここ Dr. Graham’s Home は、この地域の紅茶園労働者の子供たちを教育するために1900年にグラハムというスコットランド人宣教師によって建てられた学校施設です。
《グラハム学校 ②》

今でも幼稚園を含み 1,300人以上が学ぶ立派な教育施設として機能しているそうです。
《デオロの丘 ①》

町の中心部から北に10km弱山道を登った Deolo Hill はにある Deolo Tourism Complex は美しい花壇や遊歩道が整備された、地元市民にとっての憩いの場となっています。
《デオロの丘 ②》

更に、ここは標高1,704mとカリンポンで最も高い場所であるため、周囲360度を見渡せる絶好のビューポイントとなっています。
《ドゥルピン・ゴンパ ①》

一方で、中心部から南に約5kmにあり北のデオロの丘と人気を二分する標高1,372mのドゥルピンの丘(Durpin Hill)には Durpin Gompa が建っています。
《ドゥルピン・ゴンパ ②》

1972年建立の比較的新しいゴンパですが、1976年にはダライ・ラマ14世も来訪したという由緒ある寺院です。
《チベット料理 ①》

インド料理と言えばカレーやタンドーリ・チキンが有名ですが、ダージリンやシッキム、更には北西部のラダック地方などのチベット文化圏ではチベット料理も多く提供されます。
その中でも最も人気なのがモモ(Momo)と呼ばれる蒸餃子です。具はチキン、マトン、ベジタブルなどから選べます。
《チベット料理 ②》

モモと並んで人気なのがトゥクパ(Thukpa)です。日本のうどんのような位置づけですがもう少し旨みがあります。
こちらもチキン、マトン、ベジタブルなどのメニューがあります。
モモとセットで食べると、ほぼ大満足が期待できます。
《インド料理》

チベット圏でももちろん普通のインド料理は広く普及しています。
タンドーリ・チキンとカレーとナンは最強のコンビネーションです。この他にビリヤニ(煮込みライス)も有名ですね。
一方、ビールも広く飲まれており、キングフィッシャーなどのブランドが有名ですが、中でもストロング・ビールと呼ばれるアルコール度数8%のものが地元では人気です。
個人的にはビールにウイスキーを混ぜたような風味であまり好きではありませんが早く酔えるというのが人気の理由でしょうか。
普通に注文するとデフォルトでストロングだったりするので注意しましょう。
《インド料理のメニューと値段》

最近では日本でも本格インド料理店が多く開業し身近になってきていますが、どこの国の料理もそうであるように、インドで食べるインド料理が最も安くて美味しいと思います。
これはあるホテルのレストランのメニューですが、普通のカレー(日本で2人分くらい)で約250円、タンドーリチキン(ここにはありませんが)がハーフで300円程度、モモやトゥクパだと100円から150円ほどです。
一品一品の量が意外に多かったりするので、値段が安いからと有頂天にならず、注文時には冷静な判断が必要です。
《インドのバー》

インドでは多くのレストランでアルコール飲料を頼むことができますが、それとは別にバーもあります。
ディープな感じの店が多いですが、恐るるには足りません。
因みに、ほとんどの店では軽食も含め食べ物のメニューはありません。ただ、インドの美味しいスナック菓子(ベビースターと豆を混ぜて各種スパイスを加えた感じ)や豆が無料(それもおかわり自由)で出てくるので、個人的にはとてもお薦めです。
《インディゴー》

一般にインディゴというと藍色の染料を指しますが、私がデリーとバグドグラとの往復の国内線で利用したのは IndiGo という最近流行のLCCでした。
インドでは航空業界の新陳代謝が激しく、各社が激しい競争を繰り広げています。その中でも IndiGo の勢いは凄まじく、2006年に運行開始後、2015年時点で国内線最大シェア37%を誇っています。
定時運航率も非常に高いので、個人的にはとてもお薦めの航空会社です。
《デリー空港の出発案内》

前述のように、数日前にネパールで大地震が発生しましたが、実は私はこのシッキム地方の旅の後、ネパールを訪れる予定でデリーからのチケットを予約していたのです(このモニターでのIndiGo31便)。
ぎりぎりまで悩みましたが、カトマンズ市内の被害状況が非常に深刻との情報から前日にキャンセルし、代わりにインド北西部のパンジャブ地方(AI114便)に行き先を変更しました。
空港で出発情報を確認したところ、カトマンズ便は約2時間の間の3便ともほぼ通常通り運航されていたのを見るとちょっと複雑な気分になりました。

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