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旅の写真集  チリ共和国(その4)HEADLINE

チリ観光の旅行記を兼ねた写真集(その4)です。ここでは、太平洋に浮かぶ絶海の孤島イースター島の様子をご紹介します。

《マタベリ空港 ①》

イースター島(Easter Island、現地語名はラパ・ヌイ(Rapa Nui))は、チリ本土の約3,700km西に浮かび、首都サンティアゴから飛行機で約5~6時間(往路の方が1時間程度長い)という絶海の孤島です。

チリ本土とは時差も2時間もあります。
《マタベリ空港 ②》

滑走路脇では、早くも意味不明のゆるいモニュメントがスタンバイしていて、長旅の疲れを癒やしてくれます。
《マタベリ空港 ③》

イースター島の空港には Mataveli Airport という正式名称がありますが、あまり使われてはいないようです。

サンティアゴから搭乗する際には Isla de Pascua(イースター島のスペイン語表記)という行き先の飛行機に乗りましょう。
《マタベリ空港 ④》

ターミナルビルは非常に質素ですが、雰囲気はなかなかのものです。
《マタベリ空港 ⑤》

ターミナルの外の駐車場にもユニークな像が立っていました。

安易にモアイ像のレプリカとかでないところが好感が持てます。
《ハンガ・ロア村 ①》

イースター島は周囲60km弱、総面積165k㎡ほどと、日本の小豆島(約153k㎡)を一回り大きくした程度の大きさなので、島内では空港のすぐ近くに位置する Hanga Roa 村だけが唯一の集落です。

左の写真はそのメインストリートです。
《ハンガ・ロア村 ②》

村で見つけた案内標識です。

先ほど、チリ本土まで3,700kmと書きましたが、その他、最寄りのタヒチ、ハワイなどへの距離を見ても本当にとんでもないところにあるのがわかります(最も近い有人島まで直線距離約2,000km)。

因みに Aotearoa というのはマオリ語でニュージーランドのことだそうです。
《ハンガ・ロア村 ③》

村にはスーパーマーケットもあって、お金さえ払えば大概の物は手に入ります。

ただ、上に述べたような立地なので輸送コストが高いのはどうしようもないらしく、物価は本土の2~4倍くらいします。
《ハンガ・ロア村 ④》

こちらは初日に入ったファーストフード店での食事ですが、ハンバーガーが5,500ペソ(約1,100円)、エンパナーダとフレッシュジュースがそれぞれ2,000ペソ(約400円)でした(別途、サービス料10%が自動計上)。

イースター島を訪れる際には、スナック菓子など保存の利く食料などは持ち込むのが良いでしょう(ただし、ゴミは持ち帰った方がいいですね)。
《ハンガ・ロア村 ⑤》

蛇足ですが、ハンガ・ロア村には何と日本料理店が1軒あります。

店頭にメニューがあったので盗撮させていただきましたが、そこには醤油ラーメンや焼ソバが15,000ペソ(約3,000円)、親子丼、天丼、牛丼あたりで$11,000ペソ(約2,200円)など強気な価格設定にもかかわらず、先ほど(2019年12月)Trip Advisor で確認したらスコア5.0(レビュアー450人で満点!!)と、島で一番人気のレストランになっていました。

イースター島まで行ってこの値段で日本料理ってどうよって感じですが、味は確かなようです。
《ハンガ・ロア村 ⑥》

そんな感じでとても暮らしにくそうな村ではありますが、やはり現地の人たちにとって一番重要なのは教会です。

ここの教会はローカル色が強い粋なデザインでしたが、日曜のミサは入りきれないほどの人で賑わうそうです。
《ハンガ・ロア村 ⑦》

ハンガ・ロアの小さな港にはモアイ像が一体立っています。Ahu Tautira です。

恐らく、ほとんどの旅行者が初めて見る本物のモアイ像がこれだと思います。
《タハイ儀式村 ①》【世界遺産】

次に向かったのは村の中心から500mほど北にあり、 島内では有数の観光スポットとなっている Sector Tahai というエリアです。

日本語では「儀式村」となっていますが、実際は7体のモアイが立っているだけです。

写真はその中央を飾る Ahu Tahai です。
《タハイ儀式村 ②》【世界遺産】

その右後方に立つのはプカオと呼ばれる帽子のようなものを被ったモアイ。

Ahu Koteriku です。
《タハイ儀式村 ③》【世界遺産】

よく見ると(よく見なくても)目が入っています。

もともとモアイが立てられたときにはほとんどのものに目が入っていたそうですが、現在イースター島ではこの一体にだけ目が復元されているのです。
《タハイ儀式村 ④》【世界遺産】

そして南方に200mほどのところには台座に乗った5体のモアイ、Ahu Vai Uri が並んでいます。
《タハイ儀式村 ⑤》【世界遺産】

因みに「アフ」というのは祭壇を意味するそうです。
《タハイ儀式村 ⑥》【世界遺産】

このタハイ儀式村のモアイは、ハンガ・ロアの村からすぐ近いというのが手軽でいいのですが、夕日を背に立つモアイが更に人気を集める要因となっています。
《タハイ儀式村 ⑦》【世界遺産】

何となく悠久のロマンを感じさせるものがあります。
《タハイ儀式村 ⑧》【世界遺産】

初日のウオーミングアップにしては随分堪能できました。
《南部周遊道路 ①》

今回のイースター島訪問は一生で最初で最後だろうということもあって4泊5日と余裕を持った行程で、2日目から5日目までレンタカーを借りて島内を回りました。

イースター島には公共交通機関が全く無いので、現地ツアーに参加するのでなければレンタカーしか移動の手段は無いのです。
《南部周遊道路 ②》

この日はまず、一通り島全体の様子を見てみようということで、島の南部の海岸線を走ることにしました。
《南部周遊道路 ③》

この道路沿いにはいくつかのアフが散在するのですがモアイそのものの保存状態はあまり良くなく、見どころは多くありません。

そんな中、アフ・ビナプ(Ahu Vinapu)は、ペルーに残るインカ遺跡に似た、隙間のない石組みが見事なアフです。
《南部周遊道路 ④》

更に進むと、Ahu Hanga Te'e があります。

写真中央に転がっているのは8体のモアイの残骸です。

モアイの目から出るとされていた霊力を恐れて1700年頃に勃発したフリ・モアイと呼ばれるモアイ倒し戦争の結果、うつ伏せに倒されたものだそうです。
《南部周遊道路 ⑤》

一方、こちら(中央)は仰向けに倒されています。

この辺りでは、このように放置されたモアイが所々で見られます。
《ラノ・ララク ①》【世界遺産】

更に10kmほど進んで少し内陸部に入ったところにあるのは、旅行者の誰もが訪れる Rano Raraku です。
《ラノ・ララク ②》【世界遺産】

ここはモアイの製造工場跡で、島内のほとんどのモアイ像はこの丘から切り出されたそうで、残念ながら出荷されなかったモアイが現在でも数多く残っています。
《ラノ・ララク ③》【世界遺産】

はるばるイースター島までモアイを見に来るような人は、そっち方面に関しては比較的意識が高い系だと思うのですが、それでもこのように注意喚起しないとつい一線を越えてしまうようです。
《ラノ・ララク ④》【世界遺産】

ラノ・ララクには約400体のモアイが確認されているというだけあって、至る所から顔を覗かせています。
《ラノ・ララク ⑤》【世界遺産】

イースター島に存在するモアイが約1,000体とされていますので、結構な密度です。
《ラノ・ララク ⑥》【世界遺産】

この方は、ほぼ完成品である上、姿勢も良いです。
《ラノ・ララク ⑦》【世界遺産】

こちらは何だか思案顔ですが、それだけにイースター島のパンフレットや絵はがきでは最も頻繁に登場する方です。
《ラノ・ララク ⑧》【世界遺産】

この人も有名ですね。
《ラノ・ララク ⑨》【世界遺産】

遊歩道に沿って登って行くと、正に製造途中課程を説明するお手本のような方もいます。
《ラノ・ララク ⑩》【世界遺産】

こちらはアジアで時々目にする涅槃仏のようです。
《アフ・トンガリキ ①》【世界遺産】

丘の中腹からは次に訪れる Ahu Tongariki が望めます。
《アフ・トンガリキ ②》【世界遺産】

15体のモアイが海をバックに立つ姿はイースター島を代表する構図ですが、実はこれは日本の建設機械メーカーのタダノが、1991年から93年にかけて行なった修復プロジェクトによって整備されたもので、それ以前は倒れたまま放置されていたそうです。
《アフ・トンガリキ ③》【世界遺産】

なお、プロジェクト総費用1億8千万円はタダノが全額負担したとのことです。

PR効果も狙ったのかもしれませんが、地元のためにもなって、すごく立派な社会貢献だと思います。
《アフ・トンガリキ ④》【世界遺産】

それにしても、人気スポットにもかかわらずほとんど人がいません。

その理由は、タハイ儀式村が夕日の名所であるのに対して、ここは日の出のベストポイントとされているのです。
《アフ・トンガリキ ⑤》【世界遺産】

私たちも今回は下見程度ということで、今後何度も訪れることになります。
《アフ・トンガリキ ⑥》【世界遺産】

振り返って見たラノ・ララクです。

中央が凹んで見えますが、実際のところ頂上には小さいながらも火山湖があります。
《パパ・バカの岩絵 ①》

アフ・トンガリキを後にして北上し島の北側に出ると、Papa Vaka Petroglyphs と呼ばれる岩絵が残っています。
《パパ・バカの岩絵 ②》

パパは石、バカはカヌーを意味するということで、カヌーの絵が描かれているということなのですが、残念ながら認識できませんでした。
《テ・ピト・クラ》【世界遺産】

更に500mほど西に進んだところにある Te Pito Kura は、触れるとパワーが得られると言われている5つの丸い石ですが、何のパワーなのかは謎だそうです。

因みに、ここではそこそこの日本語を話す現地の若い女性が寄ってきて、家族でピクニックに来ていて釣った魚を焼いているので一緒に食べて行かないか、何なら持って帰らないかと声をかけてきました。日本語は独学で勉強しているそうです。せっかくなのでご一緒したかったのですが、もう19時を過ぎていて時間も無いので申し訳ないけど断ったのが今でも心残りです。
《アナケナ・ビーチ ①》【世界遺産】

先を急いではいるものの、戻るより進んだ方が近いので更に進みます。

Playa de Anakena 付近は、南国情緒溢れるヤシの木が立ち並ぶこの島には珍しい雰囲気のビーチ・エリアです。
《アナケナ・ビーチ ②》【世界遺産】

ちょうど日没間際で何となく幻想的な雰囲気に包まれていました。
《アフ・ナウナウ ①》【世界遺産】

そして、アナケナ・ビーチを背にして立つのが Ahu Naunau と呼ばれる5体(+アルファ)のモアイです。
《アフ・ナウナウ ②》【世界遺産】

ここもどうせまた後日改めて来ることになるので、日がすっかり暮れる前に2日目の観光はこれで終えてハンガ・ロアへ戻りました。
《アフ・トンガリキの日の出 ①》【世界遺産】

というわけで、翌日は6時半に起きて、日の出を見るためにアフ・トンガリキを再訪しました。
《アフ・トンガリキの日の出 ②》【世界遺産】

現地には7時頃に着きましたが、夏時間ということもあって日の出には間に合いました。

逆光になっていますが、結構多くの人が既に到着して映り込んでいるのがご覧いただけるでしょうか。
《アフ・トンガリキの日の出 ③》【世界遺産】

この日は随分空に雲がかかっていて心配しましたが、どうにかお日様が顔を出してくれました。
《アフ・トンガリキの日の出 ④》【世界遺産】

少しすると太陽はすっかり雲に隠れてしまいましたが、日の出の瞬間だけでも見られたのは幸いでした。
《プナ・パウ ①》

宿に戻って朝食の後、次に訪れたのはプカオ(モアイの赤い帽子部分)の切り出し場であった Puna Pau です。
《プナ・パウ ②》

全てのプカオはここから運ばれたそうですが、帽子部分というだけあって、周囲には少し赤い色合いの岩が転がっているだけであまり見るべきものはありませんでした。
《プナ・パウから見たハンガ・ロア村》

唯一、少し良かったのは、少し高台になっているここからハンガ・ロアの村が見えたことくらいでしょうか。

左奥に空港の滑走路が見えますが、村は右奥になります。

本当に小さな村であることがわかります。
《アフ・アキビ ①》【世界遺産】

続いて向かったのは Ahu Akivi です。
《アフ・アキビ ②》【世界遺産】

モアイは、そのほとんどが海辺近くに立っているのですが、内陸部のここには7体のモアイがきれいに並んで、島内で唯一海を向いて立っています。
《アフ・アキビ ③》【世界遺産】

7体ともきちんとした形をしていて、大きさもほぼ同じなので、全体的に非常にバランスが良いのが特長です。
《アナ・テ・パフ》

続けて、アフ・アキビから少し西に進んだところにある Ana Te Pahuという洞窟を訪れました。

島内にある無数の洞窟の中でも最大規模で、奥行きは900m以上あるとされていますが、少し入ったところ(写真奥)に上空が望める空間がある程度で、特に他に見るべきものはありませんでした。
《墓地》

昼食休憩がてらハンガ・ロアの村に戻り(実際のところ、島内にはハンガ・ロア以外にはレストランや売店は全くないので、スナック類でも持って出かけない限り、いちいち村に戻らないといけないのです)、途中にあった墓地を訪問しました。

墓地というのは、世界各国(あるいは各地で)それぞれ特色があるので、よくお邪魔させていただいています。

ここは、比較的可愛らしいお墓が多い印象でした。

島から一歩も出ないで一生を終えた方も眠っているのではないかと思うと感慨もひとしおです。
《展望台からの眺め》

午後は、島の南西の端にあるラノ・カウ(Rano Kau)と呼ばれる火山周辺の観光に向かいました。

写真は、山に登る途中の展望台からの眺めです。
《ハンガ・ロア村遠景》

走ってきた方角にはハンガ・ロアの村が一望できました。

写真手前が村、ほぼ中央に広がる緑の部分がタハイ儀式村です。
《ラノ・カウ火山湖 ①》

村の中心部から5kmほど登ると直径約1,600mの火山湖が見える展望台に到着です。
《ラノ・カウ火山湖 ②》

水深は4~5mと、あまり深くはありませんが、トトラ(葦)に覆われた隙間に見えるコバルトブルーの湖面が非常に美しい湖です。
《ラノ・カウ火山湖 ③》

イースター島でなければ、これだけで十分観光地になるほどの素晴らしい景色だと感動しました。
《オロンゴ儀式村 ①》

更に1kmほど先に進んだ道路の突き当たりにあるのが Orongo Ceremonial Village です。
《オロンゴ儀式村 ②》

ここではかつて、(西暦1500年頃から)毎年春になると沖合の島に泳いで渡り、渡り鳥の卵を一番最初に持ち帰った部族の長が、その一年イースター島全体の長になれたそうで、当時のこの島の中でも非常に大きな意味を持っていた儀式(鳥人儀礼)が行なわれていた場所だそうです。
《オロンゴ儀式村 ③》

周囲には、50を越える住居跡が残されていたとのことで、現在ではいくつかの復元された石家が斜面に立ち並んでいます。
《オロンゴ儀式村 ④》

また、様々な岩面彫刻やレリーフも残っています。

ここで祀られたとされているマケマケ神等が描かれているとのことですが、どれが一体何を表しているのかは、残念ながらよく分かりませんでした。
《オロンゴ儀式村 ⑤》

儀式村の最深部には、太平洋を望む見晴台があります。
《オロンゴ儀式村 ⑥》


ここからは3つの小島が見えます。

手前の尖った岩のようなものがモトゥ・カオカオ(Motu Kao Kao)、その先がモトゥ・イティ(Motu Iti)、鳥人儀礼で卵を取りに渡った島は一番奥の大きな島、モトゥ・ヌイ(Motu Nui)です。

ここから眺める景色は鳥人儀礼の話を知らなくても楽しめるほど雄大で実に良いです。
《アナ・カイ・タンガタ ①》

帰りがけに村の手前にある Ana Kai Tangata に立ち寄りました。

アナは洞窟、カイは食べる、タンガタは人を意味することから、食人洞窟と呼ばれています。

イースター島では戦いに敗れた部族を儀式として食人していたと言われていて、ここがその場所だという説があるそうです。
《アナ・カイ・タンガタ ②》

洞窟の天井には鳥らしき絵が描かれていました。
《アフ・アキビ ④》【世界遺産】

もう18時に近かったのでこの日の観光はこれで終わりにしようかとも思ったのですが、前述の通り夏時間で日没が20時過ぎということもあってまだ日が高かった上、青空が広がってきたので、午前中に訪れたアフ・アキビを再訪することにしました。
《アフ・アキビ ⑤》【世界遺産】

上の写真のとおり正面から見るとずんぐりとした感じですが、斜め45度付近から見ると随分貫禄があります。
《アフ・アキビ ⑥》【世界遺産】

後ろ姿もダンディです。
《アフ・アキビ ⑦》【世界遺産】

曇り空の午前中と違い、西日を正面から浴びる姿はとても神々しく見えました。
《名も無いモアイ ①》

アフ・アキビ見物を終えてもまだ19時前だったので、気を良くした私たちはついでに、朝に訪れたアフ・トンガリキも攻めてみることにしました。

途中、名もないモアイが夕日を浴びて立っている姿もまた印象的でした。
《南部周遊道路 ⑥》

夕暮れ前の海岸線を急ぎます。
《南部周遊道路 ⑦》

ラノ・ララクが見えてきました。

間もなく到着です。
《アフ・トンガリキ ⑦》【世界遺産】

この日2度目、滞在3日目にして早くも3度目のアフ・トンガリキ訪問達成の瞬間です。
《アフ・トンガリキ ⑧》【世界遺産】

快晴ではありませんでしたが、初回は曇り空、朝は逆光ということで、これまでとは違った表情を楽しむことができました。

モアイ見物には訪れる時間帯も非常に重要なのです。

なお、朝とは違って、観光客が一人もいないのには改めて驚かされました。
《アフ・トンガリキ ⑨》【世界遺産】

おかげで、各角度から思う存分好きなだけ激写することができました。

他に人がいると、自分が写真を撮るときに邪魔になるのと同時に、自分も邪魔になってしまっているんじゃないかと思って落ち着いて観光できないんですよね。
《アフ・トンガリキ ⑩》【世界遺産】

後ろ姿もこっそりゲットさせていただきました。

人が写っていないのでわかりにくいですが、アフの長さは約100mあり、その上に立つモアイは高さ5mを超える非常に大きなものなので、結構遠くからでないとファインダーに収まりきらず東奔西走していたのです。
《アフ・トンガリキ ⑪》【世界遺産】

先述の通り、これら15体は日本の企業が建て起こして並べてくれたものだそうですが、それにしても、この順番は誰が考えたんでしょうか。

高さ、大きさ帽子の有無等様々ですが、結構、絶妙なバランスだと思います。
《アフ・トンガリキ ⑫》【世界遺産】

因みに、この時点で既に20時を過ぎていますが空にはまだ十分明るさが残っています。

夏時間については賛否両論あるようですが、個人的には圧倒的に導入賛成派です。

実際、この日のように、日が沈んでいればとっくに宿に戻っているべきところ、消費活動(と言ってもガソリンくらいですが)しているのですから、経済効果は抜群だと思いますよ。
《アフ・トンガリキ ⑬》【世界遺産】

なお、この遺跡の入り口には15体とは別に一体が立っていて出迎えてくれます。

彼は1970年に開催された大阪万博で展示されたモアイだそうですので、日本人にとっては二重に感慨深い場所とも言えます。
《ゴミ箱》

村に戻るとパステルカラーの分別ゴミ箱が美しく輝いていました。

この頃になると、ほとんどの空が深い雲で覆われているにもかかわらず、ちょうど陽が沈む方角の西の空だけが異常に明るく赤くなっていたのです。
《黄昏のタハイ儀式村 ①》【世界遺産】

このゴミ箱を見て急に思い立ったのが、夕日の名所タハイ儀式村です。

慌てて寄ってみることにしたところ、到着した時には正に陽が沈むところで、非常に美しいサンセットを楽しむことができました。
《黄昏のタハイ儀式村 ②》【世界遺産】

貧乏性なので、旅先では時間があればあるだけ動いていないと勿体なく感じてしまう性分が幸いしました。
《黄昏のタハイ儀式村 ③》【世界遺産】

これで今度こそ本当に宿に戻って、遅めの夕食に与りました。

余談ですが、チリは他の南米諸国(本を正せばスペイン)同様、夜の10時以降にレストランに入店する人もいるほど夕食が遅い国なので、イースター島もその例外ではなく、こんな時間まで観光していても問題なかったのでした。
《名も無いモアイ ②》

4日目の朝です。

実を言うと3日連続のアフ・トンガリキでの日の出に挑んだのですが、天候が優れずあまりいい写真は撮れませんでした。

その代わり名も無い4体のモアイを発見しました。

全員がプカオを被っている上、目も入っています(目が入っているのはタハイ儀式村の1体だけというのが通説であるにもかかわらずです)が、比較的新しく作り物っぽいしガイドブック等には全く紹介されていないので、設立の経緯は謎です。
《アナケナ・ビーチ ③》【世界遺産】

天気もあまり良くないので、一旦宿に戻りしばらく昼寝をしました。

毎日朝6:30起床で夜は25時頃まで起きているような生活を続けていると疲れが溜まってとても眠かったのです。

午後になっても天候は回復の兆しを見せませんでしたが、部屋に籠もっていても仕方ないのでアナケナ・ビーチにでかけてみました。

暗雲が漂うビーチには人影もまばらです。
《アフ・ナウナウ ③》【世界遺産】

ところが、少しするとどういう風の吹き回しか、少し日差しが出てきました。
《アフ・ナウナウ ④》【世界遺産】

左奥に見える1体のモアイは、島で最も早く、1956年にノルウェーの探検家ヘイエルダール(Thor Heyerdahl )が島民と一緒に12人がかりで18日かけて立てたものだそうです。
《アフ・ナウナウ ⑤》【世界遺産】

また、ここに生えているヤシの木は在来種ではなく、1961年にタヒチから運ばれて植えられたものだそうです。

イースター島というと、常夏の島というイメージ(南半球ではありますが緯度の大きさ的には沖縄本島と同じくらい)ですが、ヤシが外来というのは意外でした。
《アフ・ナウナウ ⑥》【世界遺産】

そうこうしているうちに、本格的に日が差して来ました。
《アフ・ナウナウ ⑦》【世界遺産】

ビーチ側から見た後ろ姿です。
《アフ・ナウナウ ⑧》【世界遺産】

ここのモアイは、長期間砂に埋もれていたため保存状態が良く、背中に彫られた模様も比較的はっきり残っています。
《黄昏のタハイ儀式村 ④》【世界遺産】

イースター島最後の夕暮れは、三度目となる黄昏のタハイ議式村を訪れました。

素晴らしい空模様とはいきませんでしたが、もう二度と訪れることはないだろうと思うと非常に感慨深いものがあります。
《アフ・トンガリキの日の出 ⑤》【世界遺産】

そして、最終日の朝は懲りもせずに3朝連続通算5度目のトンガリキ訪問です。

この日も雲が多くて今イチではありましたが、1回目の時には空が赤く染まっていたのに対して、今回は青めの感じで、また違った景観が楽しめたので悔いはありませんでした。
《アフ・トンガリキの日の出 ⑥》【世界遺産】

ちょうど一番大きなモアイの頭に太陽が移動した瞬間に雲が少し切れたのも良かったです。
《アフ・トンガリキの日の出 ⑦》【世界遺産】

5度目の訪問にして初めて正面から太陽の光を浴びる15体を見ることもできました。
《ラノ・ララク ⑪》【世界遺産】

振り返るとラノ・ララクも朝日に輝いていました。
《マタベリ空港 ⑥》

午後のサンティアゴ行きの飛行機でイースター島とはお別れです。

到着時には気づきませんでしたが出発ゲート近くにモアイが1体立っていました。

お迎え用なのかお別れ用なのか微妙な位置でしたが、どちらにしても、これが人生最後の生モアイです。

4泊5日という余裕を持った行程でしたが持て余すことは決してありませんでした。

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